Creative Factory 03#2

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「縦糸」は全体で見るもの 2008.07.03

「白き翼」の結成理由は結局、
「ネギを無事真帆良へ返すために『ナギ探し』を手伝う」ことだ。

つまり「ナギ探し」より「仲間の無事」が優先される。
網創漠蓄・「縦糸」は何? より)


それは夏休みという短期的な視野で見た時ではないでしょうかね?
安全を優先するなら、外野のあやか達のように行くことそのものをやめさせる・やめるのも選択肢に含まれてないとおかしいので。
「行かない」選択がない時点で、優先されるべきは「ナギ探し」でしょう。そもそもネギに協力する=ナギ探しに協力することを目的として集まっている集団ですから。ナギ探しが解決或いは実行不能な状況になった時になって初めて安全の話が出てくるのでは?

俺はストーリー上の長い視野で見ているので、「冬休み時点」とか「中学卒業後」とかその頃まで見越した「白き翼」としての意義は何なのさ?と考えてます。
上の方で書いた通り、俺は「ナギ探し」=「ネギに協力する」ことが第一だと考えてるので、「白き翼」の面々と比べて、そういう意思を持たずに付いてきた運動部ら5人を魔法世界に連れてきて、その上魔法がバレて、ナギ探しは実行出来なくなったのでは、冬休み時点でどれだけの人間にバレてるか分からんし、無制限的に増えてったら176時間目の団結式のようなものは何だったのよと思うわけです。

あと、これは最早考え方や認識の差になるのだろうかね?

「父親探し」もそこに組み込まれた縦糸の一本に過ぎない。

つまり縦糸は「各キャラの持つ物語」、
横糸が「それらの相関関係のストーリー」となる。


織物の縦糸を1本単位で、バラバラに見ること自体が俺には理解出来ないんですよ。
ちなみに、俺が織物でもっているイメージはトルコ絨毯です。住んでた頃に親しんでいるし、今でも家に敷かれてたり飾られてたりしてるし、何より自分でも、キリムですが、小さいのを作ったことがあるので。
織物の模様というのは、縦糸に横糸を絡めて積み重ねていくことで完成していくので、縦糸全体の視野で見ることはあっても、1本単位の視野では見れないはずなんですね。
つまり、AからBまでの(縦の)幅に作る模様が「マギステルマギになるための修行」で、BからCまでの幅に作る模様は「ナギ探し」という言い方なら理解できるんですが、
この縦糸は「マギステルマギになるための修行」で、あの縦糸は「ナギ探し」という言い方だと織物として形を成せないようにしか聞こえないんです。
だから、「縦糸がキャラクターで、横糸がストーリー」って言ったのは、縦糸1本単位で見ていったら模様は成立しないわ、横糸の総量に差が出るわで酷いことにしかならんと。
だから赤松先生はキャラの扱い方が酷いと思うわけです。縦横が逆転しているから。
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